Héritage L.Vuitton

⑤ジョルジュの誕生と需要の増加

1857

1850年代半ば、ルイ・ヴィトンとクレマンス・エミリー・パリオーの間に、待望の第一子が誕生する。1857年、ルイ36歳、クレマンス33歳の時、長男ジョルジュ・フェレオール・ヴィトンがパリに生まれた。

この時期、ルイ・ヴィトンはカプシーヌ通りの工房での事業が軌道に乗り始めており、夫婦は忙しさのなかにも確かな充実を感じていた。家庭ではクレマンスが中心となって子育てにあたり、幼いジョルジュは手工芸や店舗に出入りする職人たちに囲まれて育った。彼は幼い頃から道具や素材に親しみ、自然と父の背中を追うようになっていったという。

当時のルイにとって、「ブランドを築くこと」と「家庭を守ること」は一体であり、愛する妻と息子の存在が彼の創造力を支える源となっていた。クレマンスは事業の相談役であると同時に、家庭の温かさを保つ存在でもあり、彼女の穏やかで実直な性格が、ブランドに漂う品格の根底をなしていたとも言える。

ジョルジュが生まれた頃、ルイ・ヴィトンの名は貴族社会の中で徐々に広まりつつあり、やがて次世代へと受け継がれていく「家業」としてのヴィジョンも芽生え始めていた。家族という土台の上に築かれたヴィトンの世界観は、この時期にしっかりと形を成していったのである。

需要の増加、トランクの発展

ルイ・ヴィトンがパリで独立した19世紀中盤、ヨーロッパの貴族階級の間では「グランドツアー」が一般的になっていった。社交の場を広げるための大陸間旅行や、リゾート地への避暑旅行が盛んになる中で、旅行鞄の需要も高まっていった。しかし、当時のトランクは木製で重く、密閉性にも欠け、雨風に弱いという欠点があった。

1858

ルイはこの問題を解決するため、新しいトランクの開発に取り組んだ。1858年(ルイ37歳)に発表した「グリ・トリアノン・キャンバス」は、世界初の平積み可能なトランクとして画期的なものであった。従来の丸みを帯びた形状ではなく、フラットなデザインにすることで積み重ねが容易になり、貴族たちの長旅に最適な形となった。


さらに、ルイは防水加工を施したキャンバス地を採用し、従来の革製トランクよりも軽量で耐久性に優れた製品を作り上げた。この革新により、トランクは雨や湿気から荷物を守ることが可能になり、貴族や探検家たちに高く評価された。

      

STORY

  • ルイ・ヴィトン200年の物語
  • Héritage(エリタージュ)LV

このコラムについて

この、Héritage(エリタージュ)L.Vuittonのコラムでは、14歳で故郷を旅立った少年、ルイ・ヴィトンの夢が世界を魅了するまでの、200年のストーリーをたどります。

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