2025.03.28
カテゴリ: 1.ルイの旅
④グランドツアーの時代、旅文化が生んだトランク革命
18世紀後半から19世紀にかけて、若き貴族たちの「グランドツアー」は教養と文化交流の象徴でした。その旅がもたらした、長距離輸送に耐えるトランクのニーズこそ、ルイ・ヴィトンが目指す革新的梱包術の出発点でもありました。単なる荷物の保護にとどまらず、彼は旅する者の心情や荘厳な風景をも包み込み、物語を運ぶ器を追究し始めたのです。1855年のパリ万国博覧会での異文化との接点も相まって、彼の美意識はより国際的に洗練されていきました。本記事では、「旅する」という行為を文化として捉え直し、その流れの中でルイ・ヴィトンがどのように“旅するラグジュアリー”を構築していったのでしょうか。
18世紀後半から19世紀後半にかけて、ヨーロッパの貴族の間では「グランドツアー」と呼ばれる長期の旅行が流行していた。これは若い貴族たちが教育の一環としてイタリアやギリシャ、オリエント(トルコやエジプト)を巡るものであり、社交の場を広げ、文化や教養を身につける機会とされていた。
19世紀末に描かれた19世紀初頭の光景:イタリアの地図を眺める若いカップルEmil Brack: Planning the Grand Tour
19世紀中盤になると、イギリスやフランスの貴族の間でインドや中国、日本といったアジアへの関心が高まり、より遠方への旅行が一般化した。これに伴い、長距離移動の際の荷物を安全に運ぶための堅牢なトランクの需要が増加した。この旅行文化の発展が、19世紀におけるルイ・ヴィトンの成功へとつながっていく。
1855 第1回パリ万国博覧会
ルイ・ヴィトンが1854年に独立した翌年、パリでは「第1回パリ万国博覧会」が開かれている。このパリ万博は、第二帝政下で初めて開催された大規模な国際博覧会であり、産業や芸術の発展を促進する目的があった。この時期、ルイ・ヴィトンは前年に創業したばかりであり、まだ比較的小規模な事業だったことから、この1855年のパリ万博パリ万博に出品者としてかかわることはなかったと思われるが、職人として、デザイナーとして多く刺激を得ていたことは容易に想像できる。
なお、この第1回パリ万博には日本としての正式な参加ではなく、佐賀藩(肥前藩)が幕府を通さず、非公式に藩単独で、オランダ商館を介しての「委託出品」という形で、佐賀藩製とされる火縄銃や陶磁器などを展示したことが、現存する博覧会資料やオランダ側外交文書に記録されている。浮世絵などが大量に出品されてパリの人々の注目を集め、ヨーロッパにおいてジャポニスム(日本趣味)が社会現象として大きな潮流となるのは、1867年の第2回パリ万博がきっかけとなる。
パリ万国博覧会 産業宮(Palais d'Industrie)1855年

STORY
- ルイ・ヴィトン200年の物語
- Héritage(エリタージュ)LV
このコラムについて
この、Héritage(エリタージュ)L.Vuittonのコラムでは、14歳で故郷を旅立った少年、ルイ・ヴィトンの夢が世界を魅了するまでの、200年のストーリーをたどります。