Héritage L.Vuitton

②14歳でパリへ向かう、「旅」がルイ・ヴィトンの歴史の原点

ルイが家を出たのは14歳のときだった。継母との不和や家庭の厳しい環境に耐えかねた彼は、より良い未来を求めて単身でパリを目指した。

1835

420キロにも及ぶ道のりは決して楽なものではなかった。ルイはほとんどの距離を徒歩で移動し、時には農村や小さな町で日雇い労働をしながら食べ物を得ることもあった。宿を確保することも容易ではなく、納屋や野外で夜を明かすことも少なくなかった。

1850年頃、農民の旅の様子Farmers of Flagey on the Return from the Market (1850). Oil on canvas, 208.5 x 275.5 cm. Museum of Fine Arts and Archeology, Besançon, France

旅の途中で、ルイは様々な人々と出会った。旅人や商人、職人たちとの交流を通じて、新しい知識や技術を学ぶ機会も得た。特に、旅の途中で出会った職人たちからは、荷造りや木工に関する基礎知識を学び、これが彼の将来を大きく左右することになる。彼は荷物を効率的にまとめる技術や、良質な木材の選び方などを学び、のちにパリで修行を積む際の土台を築いていった。

1837 パリ到着

約2年の長旅を経て、1837年に16歳のルイはついにパリへ到着した。パリは彼にとって未知の世界であり、煌びやかな都市の光景に圧倒されながらも、ここで新たな人生を切り開く決意を固めた。

長旅の疲れを抱えながらも、彼の心には新たな未来に挑む決意が満ちていた。到着後、ルイはまず仕事を探さなければならなかった。そんな彼を支えたのが、すでにパリで荷造り職人として働いていた従兄弟のローラン、コンスタン、フレデリックだった。彼らの紹介を受け、ルイは当時のパリで名高い荷造り職人ムッシュ・マレシャルの工房「マレシャル・エンバルール・レイエティエ」に職を得ることとなる。

19世紀前半のパリ
「花市場、時計塔、ポン・オ・チェンジとポン・ヌフ」カネッラ・ジュゼッペ(1832年)カルナヴァレ美術館

マレシャルの工房は、サン=トノレ通りに位置し、特に上流階級の顧客のドレスや貴重品の梱包を専門としていた。ルイはそこで見習いとして働き、荷造りやトランク製作の技術を学びながら、洗練された職人技術と貴族たちの嗜好に触れていった。この経験が、後に彼が自らのブランドを築くための礎となったのである。

    

STORY

  • ルイ・ヴィトン200年の物語
  • Héritage(エリタージュ)LV

このコラムについて

この、Héritage(エリタージュ)L.Vuittonのコラムでは、14歳で故郷を旅立った少年、ルイ・ヴィトンの夢が世界を魅了するまでの、200年のストーリーをたどります。

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