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【ブランド解説】ハリー・ウィンストン編

●「キング・オブ・ダイヤモンド」の異名を持つニューヨークのトップジュエラー

「伝説のダイヤモンド商」と賞賛されてきたハリー・ウィンストンに纏わるドラマチックなブランドストーリーを知ることで夢は膨らむばかり。その輝かしい歴史から振り返ってみたい。

 ハリー・ウィンストンは20世紀前半からダイヤモンドを中心としたビジネスを展開し、上流階級御用達のトップジュエラーとして成功を収めてきた。創業者であるハリー・ウィンストンは1896年にニューヨークの宝石商の息子として誕生。幼少の頃から宝石を鑑定する優秀な能力を持っており、質屋で25セントで売っていた緑色の石が2カラットのエメラルドだと見抜き、後に800ドルで売却されたというのは今日においても伝説のように語り継がれている。15歳の時からロサンゼルスで宝石店を始めた父親の仕事を手伝い、24歳になった1920年、プレミアム・ダイヤモンド社をニューヨークの5番街に設立。第一次大戦後、ヨーロッパの貴族が資金集めのために売り出された華やかで過剰な装飾が施されたジュエリーを購入し、当時の新興富裕層のステイタスシンボルとなるモダンでシンプルなデザインにリメイクして販売すると、これが見事に大当たりして世界の上流階級が所有する宝飾品を取り扱う宝石商として成長していく。1932年にはプレミアム・ダイヤモンド社を閉鎖して新たに自分の名前を冠したハリー・ウィンストン社をニューヨーク5番街に設立。宝石にリメイクを加えて自らのデザインによる宝飾品の製作を本格的に開始する。宝石と宝石を細いプラチナのワイヤーで繋いで留め金の使用を極力抑えることで宝石だけが散りばめられているかのような手法はウィンストニアン・スタイルと呼ばれ、ジュエリーの輝きをあらゆる方向に放ち宝石の美しさを最大限に引き出すものとしてハリー・ウィンストンを代表する作品となった。彼の手掛けてきた大粒ダイヤモンドの数は宝飾業界でもトップクラスで、その原石のカットや研磨の技術も含め“キング・オブ・ダイヤモンド”と呼ぶに相応しい存在となりジュエリーの世界で確固たる地位を築き上げる。またハリウッドスター達の華やかさに興味を抱き、より美しく輝かせることにも熱中した。1943年には世界中のセレブリティが集うアカデミー賞の授賞式で着用するジュエリーの貸し出しを他の宝石ブランドに先駆けて提案して注目を集める。ハリウッドスターが身に着けるジュエリーは現在でもアカデミー賞のトピックスとなっている。

 1978年に82歳で他界してからは息子のロナルド・ウィンストンが代表取締役に就任し、時代に合ったビジネスを展開して若い世代のユーザー獲得にも乗り出す。そして1988年に時計部門を新設。父親譲りの美意識はもとより貴金属の分野で重要な特許を幾つか持っていたため、真の贅沢を知る人のための“時を刻む宝石”を作り出すことをテーマとしていた。使用されるダイヤモンドにはもちろんハリー・ウィンストン社の厳格な基準が適用され、カラーはD/E/F、クラリティはV.V.S以上という高品質な原石のみに丁寧なブリリアンカットが施された一般的には婚約指輪に用いられる最高級のダイヤモンドがセットされている。初の時計コレクションは1989年に発表されたシグネチャーで宝飾時計の王道たる存在感で人気を博したが、独自路線を歩み始めるのは2001年発表のオーパスから。世界で活躍する独立時計師とタッグを組んで一作ごとに作者が異なる時計を発表するプロジェクトをスタート。1作目のF・P・ジュヌルに始まり、2作目のアントワーヌ・プレジウソなど名だたる大御所が名を連ね、2014年の14作目まで続くコレクションはトゥールビヨンなどの高度な複雑機構を駆使した傑作ばかり。どれもオーパスの名の通り作品と呼ぶに相応しい完成度を誇る。時計界でもジュエラーとしても大きな功績を残してきたハリー・ウィンストン。今後の展開からも目が離せないブランドである。

ハリー・ウィンストン公式サイト https://www.harrywinston.com/ja

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